🍛五皿目:ルーツは韓国料理、修業はスペイン料理。たどり着いた“日常の味”とは?「煮込み ほくほく、高光健治」
「なじむ」をテーマに「生野のリアルな暮らし」に迫るインタビュー企画。第一弾は人生の浮かぶ時も、沈んだ時も、日々変わらず私たちの胃袋を満たしてくれる「飲食業を営む方々」に話を聞いていきます。舌の肥えた彼らは、どんな味に出会ったとき「このまちになじんだ」と感じたのでしょうか?五皿目は、生野で生まれ育った煮込み屋店主のあの味です。
銭湯帰りにふらっと寄りたい煮込み屋
JR桃谷駅南口にぽっかり口を開けて待っている駅前商店街に吸い込まれ、一つ目の角を右に折れると桃谷温泉通り商店街となる。その名の由来となった、桃谷温泉(銭湯)の「おふろ」のカラフルな看板がなんともごきげんなストリートだ。「煮込み ほくほく」店主・高光健治さんは言う。
「僕、酒場が好きなんですよ。自分がほんまに好きなのは、銭湯帰りにふら〜っと行って、瓶ビール飲んでぼけーっとできる、自分の日常サイクルのなかにあるお店で。そんな店をやろうと決めてはじめました」
ほくほくは、2023年4月にオープン。思い描いたとおり、銭湯から徒歩1分、湯冷めしない絶好のロケーションだ。土日は午後2時からの昼営業もしている。明るいうちからひと風呂浴びて、煮込みをアテにビールで喉を潤す……と、想像するだけで頭のなかはすっかり休日になる。
高光さんは生野生まれの33歳。彼の味には3つのルーツがある。ひとつは、今里新地で韓国料理店「新豊年」を営むお母さんの味。ふたつめは、阿波座の「ロス・シティオス」で出会ったスペイン料理の味だ。「うわ、これや!」と衝撃を受けて弟子入りを志願し、料理人としての道を歩みはじめることになった。
もうひとつは、生まれ育った鶴橋の味である。鶴橋名物「商店街迷路」をさまよえば、キムチやナムル、串焼き、焼肉のジュっとした匂いに胃袋をくすぐられ、色とりどりの韓服(民族衣装)や洋服に目を奪われる。“迷路”を南下すると、鮮魚店、精肉店、八百屋などが軒を並べる生鮮市場だ。子どもが小銭で買い食いできる店も、一杯飲むのにほどよい飲み屋もたくさんある。食のエネルギーが渦巻くこのまちで、高光さんは食べること飲むことを覚え、料理人としての舌を鍛えた。そして、飲食店の先輩たちからは、店主としての気合いとけじめと心意気も学んだのだ。
韓国の味をルーツに育つ
韓国の味は、済州島から生野に移り住んだ曽祖父から数えて、在日四世になる高光さんのルーツである。子どもの頃の食卓に並ぶのはもちろん韓国の料理だ。好きだったのは、「スンドゥブチゲに白ご飯、ビビンバ」のシンプルな味。「いつ食べてもなんか落ち着く」という。
「ただねえ、遠足や運動会のお弁当がキンパ3本だけ!とかで。周りにも在日の子が多かったけど、学校にキムチの入ったお弁当を持っていくのはめっちゃ嫌やったかも。今思えば、お母さんのお店は朝4〜5時まで繁盛していたから、お弁当をつくる余裕なんかなかったんやと思うんですけどね」
大学生になると、お姉さんの紹介で母の店とは別の韓国料理店でアルバイトをはじめた。飲食店の仕事の面白さに目覚めたのもその頃だ。大学3年生になると、同級生はスーツを着て就活を開始したが、高光さんはなぜか「焦ったらあかん、どしっといこう」と大きく構えていた。
「なんか腑に落ちへんかったんです。たとえば、商社に入ってほんまに売りたいと思えるもの売れるんか?みたいな。僕は飲食店で働いて、自分でつくったものを売って対価を得たいのかもしれないと思いました。ほな、独立しようと母親に相談して。『ごめん、大学まで行かせてもらったけど就活はせえへん』って言うたら、『店継ぐ?』と聞かれました。でも、今里新地の土地柄、韓国人のお客さんが多いから韓国語がマストなところもあって。僕はハングルは読めるけど、話せないから無理やなと思って」
そんな時、たまたまアルバイト先の韓国料理店の人たちが連れて行ってくれたのが、前述のスペイン料理店「ロス・シティオス」だ。夫婦で営むアットホームな雰囲気にも心惹かれた。忘れもしない、その日食べたのはブイヤベースのスープで炊いたイカ墨のパエリア。「今でも、あれが一番うまいと思ってるかも」と高光さんは言う。
「人生って、何年かに一度“食らう”ときってあるじゃないですか。それやったかもしれません。実家もアルバイト先も韓国料理屋やし、住んでる地域も“ザ・韓国”で、韓国料理しか知らなかったわけで。当時の自分にはもうすごいカルチャーショックやったんです。この料理で独立しようと決めて、『働かせてください』って頭を下げにいきました」
こうして高光さんは、大学卒業と同時にロス・シティオスでスペイン料理の修業をはじめた。
20代を捧げたスペイン料理
スペイン料理を食べるのが初めてだったのだから、もちろんつくったこともあるはずはない。まったく未知のスペイン料理を覚えていった頃を、「ほんまに毎日が楽しかった」と高光さんは懐かしむ。夜、仕事が終わると、どんなに疲れていてもその日学んだことを記録したノートの山は宝物になった。ロス・シティオスで教わり、今も大事にしていることはいくつもある。
「料理は毎日つくっていたら上手になるから、それ以前のことを徹底しなさいと言われていました。水回りや作業台をキレイにしておくこと。おしぼりひとつ置くにも、きちんと畳む。包丁もまっすぐに置く。それは、今の店でも大事にしています。味のことではやっぱり塩の使い方。ロス・シティオスではパエリアも煮込み料理も、具材と塩の味だけをベースにつくるんです。師匠に塩加減を見てもらうときはめちゃくちゃ緊張していましたね」
2年が過ぎた頃、かつてロス・シティオスで修業した人が名古屋で開いた店に移り、さらに3年ほど腕を磨いた。満を持して独立したのは、2017年1月。JR鶴橋駅の高架下で「大衆食堂Mitsuboshi」をオープンした。梅田や難波に行かずとも身近な鶴橋でスペイン料理を食べられるとあって、特に地元の若い世代に喜ばれていたという。ところが、2020年春、コロナ禍のなか緊急事態宣言が発出され、大阪府は飲食店に対して時短営業や酒類提供の禁止などを要請。遅くまで賑やかだった鶴橋の夜から、人も灯りも消えていった。
「コロナ禍の間は、もう店を閉めようと思ったこともありました。やっと制限なく営業できるようになった2021年秋頃かな。『スペイン料理というものをわかってもらうには、もうちょっと気合入れて食らわしていかなあかん!』と思って。パエリアで勝負しようと決めました」
パエリアの定番素材といえば、鶏肉か、海老やアサリ、イカスミなどの海鮮など。もうひとひねりないものか?と思い巡らしていた時、ふと修業時代を過ごした名古屋での経験が脳裏をかすめた。名古屋といえばひつまぶし、うなぎ……!「うなぎは絶対パエリアに合う!」。突然のひらめきでメニューに加えたうなぎのパエリアはSNSで評判になり、やがてMitsuboshiの代名詞にもなった。同年末には、立て続けにテレビ局の取材が入ったことで、2022年の年明けからはお客さんもぐっと増えた。ちなみに、番組の新人ディレクターが番組中の“サプライズ”として当時は彼女だった奥さんへのプロポーズを企画。カメラの前でめでたくOKをもらったそうだ。
「奥さんと結婚して、Mitsuboshiも順調で、2023年には子どもも生まれて。『ずーっと飲食で食って行こう』と、今までにはない感情が生まれてきたんです。僕は絶対に現場に立ちたい人間なので、70歳ぐらいまで厨房にいたい。ずっと飲食人として生きていくなら、スペイン料理みたいに味を加えて派手にして押す感じの店じゃなくて、もうちょっと引いて考えようかなって。奥さんとも相談して、自分がふだん飲みに行くような、人の日常に入り込むような店をやろうと決めました」。
野暮を言ってしまえば、人気店として成功したタイミングにあるMitsuboshiを閉めるのは、飲食店経営のセオリーからは有り得ない判断である。周囲の人たちに、「今閉めるのはもったいないよ」と止められなかったのだろうか。
「ありがたいことに、めちゃめちゃ言っていただきました。『人に教えてMitsuboshiを任せたらええやんか』とかね。そんなん経営的には100点満点の回答なんですよ。ただ、それがでけへんのが自分。それやったら潔くやめようと思いました」
毎日でも食べたい味「牛すじ豆腐」
気持ちが決まると行動が早いのが高光さんだ。さっそく友だちの不動産屋さんで物件を探しはじめた。希望していたのは「玉造か鶴橋の市場のなかのこじんまりした店」。ところが、見つかったのは両駅の真ん中・桃谷だった。「一昨日くらいに空いたんやけど見にいく?」と聞かれて自転車で駆けつけたのが、ほくほくが入居した物件。見てすぐ気に入り即決したという。
では、どんな料理を出そうか?「ちょっと飲んで帰るぐらい」の酒場にするなら、「さっさっと出せる」ものをメインにしたい。串カツも考えたが、煮込みの店にすると決めた。オープン前には、いろんな煮込み屋を食べ歩いて研究を重ねたそうだ。
「東京・月島に『岸田屋』さんていう老舗の煮込み屋さんがあるんです。熱燗飲んで、テレビで大相撲中継を見ながら他愛もない会話して、ちょっとうるさすぎたら女将に怒られてみたいな。東京はモツといえば豚ホルモンが多いけど、岸田屋さんのは牛ホルモンの煮込み。『これや』と思いました。鶴橋では豚ホルモンはあんまり合わへん。醤油ベースで煮込んだ牛すじと豆腐でいこう、と」
大阪で牛すじの煮込みというと、甘辛くて濃厚な「どて焼き」をイメージするが、ほくほくの看板メニュー「すじ煮込み豆腐(600円)」はとてもシンプルで上品な味わいだ。昆布、かつお、さばで引いたコクのある出汁に、キレもまるみもある薄口醤油を合わせた「関東煮」風。牛すじは煮崩れさせず、ほどほどの歯応えを残しているのもアテにはよい。味の染みた豆腐は、酒飲みのこころを受け止めるかのごとくふんわり炊き上がっている。たしかにこれなら毎日でも食べたい。
「店がお客さんの日常に入っていくには、毎日食べられる料理を考えていかなあかんと思います。下ごしらえをちゃんとして料理すると、やっぱり素材って生き生きするんですよ。ほんまに、ちょっとずつですけど、日々のなかで見えてくるものがあって、オープンした時よりもどんどんシンプルになってきています」
シンプルに向かうのは、いかにも一本気な高光さんらしい。ほくほくの煮込んでなお透き通るきれいな出汁は、韓国、スペイン、そして鶴橋、そのいずれの味にも似ていない。それらを食べ、料理してきた高光さんの人生の味だ。今日も、鍋から立ち上る湯気に誘われて、桃谷の酒飲みたちがほくほくの暖簾をくぐる。楽しげに飲むカウンターを見渡して、「僕もお客さんで来たい」と高光さん。ニコッとあかるく笑ってお玉を持ち、次の一皿のためにおいしい煮込みをすくいあげる。
★煮込み ほくほく 住所:大阪府大阪市生野区勝山北1丁目3−16 https://maps.app.goo.gl/BemeCuZ24FvxRShW9 営業時間: 火曜〜金曜:16:00-23:00 土曜、日曜:14:00-23:00 |