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”まち”で生まれた”もの”を知る〜生野区を盛り上げるものづくり企業を紹介〜vol.4 フルタ製菓の乾さん、塩谷さん、南開さん

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”まち”で生まれた”もの”を知る
vol.4 フルタ製菓の乾さん、塩谷さん、南開さん

 多様な顔を持つまち、生野区。実は約2000社のものづくり企業が集結する“ものづくりのまち”でもあります。

 ひとことで「ものづくり」と言っても、誰もがよく知る製品から、ユーザーが普段目にすることはない小さなパーツまで、そのあり様は様々。この企画では、あらゆるMADE IN IKUNOに目を向け、生野に根付いた「生み出す力」に迫ります。

 そして長きに渡りこの”まち”で、ものづくりをしてきた人たちは、”まち”をどう捉え、どんな未来を思い描いているのか。生野のものづくり精神を探るインタビューシリーズ。第4回は、誰もが親しみを抱くあのチョコレートを製造するフルタ製菓さんを訪ね、3名の方にお話を伺いました。

左:塩谷さん 真ん中:乾さん 右:南開さん

   

 フルタ製菓さんといえば、セコイヤチョコレートやチョコエッグ、わなげチョコなどを手がけるお菓子メーカー。全国で楽しまれてるヒット商品の生みの親ですが、実は生野区の会社であることをご存知でしたか?

 現在では全国各地に拠点や大型工場を構えながらも、生野区の本社工場でも人気のお菓子をつくりつづけています。

 フルタ製菓さんは1952年創業。創業者は「古田三兄弟」と呼ばれる3人の人物です。長男 古田亀彦、次男 古田乙彦、三男 古田鶴彦。戦後、仕事を求めて四国から大阪へやってきた実の兄弟たちでした。

 故郷の田舎町とはちがう、大都会大阪の景色を一目見たときから「こんなに広いところなら、どんな夢も叶うはずだ」と希望を抱いていた彼らは、お菓子の製造技術を身につけ自分たちの店を持つようになりました。時代は戦後の復興期。自由経済が確立され、砂糖などが手に入るようになったことで、この時期に多くのお菓子メーカーが誕生しています。

営業本部の乾さん

   

 創業当時の屋号は「古田製菓栄養研究所」。3人で力を合わせ、乳ボーロの製造を始めました。しかし製造当初はよく売れましたが、参入ライバルメーカーが多く儲からなかったため、野心あふれる兄弟たちはチョコレートの製造に乗り出します。すると事業は軌道に乗り、商品を量産するための製造力を強めていくと同時に、競合他社に負けないアイデア勝負の商品開発で躍進していきました。1966年にはアイデアルチョコ、67年にはハイエイトチョコという現在にまで続くヒット商品を生み出します。アイデアルチョコは傘の形をしたチョコレート。ハイエイトチョコは、当時日本でも製造されるようになったシュガーコートチョコレートを、八の字形をした錠剤のシートのようなパッケージに仕込んだ面白い商品です。身近なアイテムの構造を応用したお菓子をつくることで、他社との差別化に成功したフルタ製菓は「アイデアの古田」と呼ばれるようになりました。

 

 日本社会の急速な進歩と共に歩んできたフルタ製菓さん。どこかユーモアを感じる商品が多いのは、高度経済成長を迎え、人々が商品に質を求めるようになったときに掲げた「美味しさだけでなく、楽しさを」という企業努力の現れです。大規模な工場を構えるようになってからは「えがおこうじょう」という心構えを社員の共通認識とし、心をこめてつくったお菓子から笑顔を届けたいという想いを大切にされています。

 1999年にはチョコエッグが誕生!業界内でも先んじて取り組んでいた人気キャラクターのライセンス取得も功をなし、社会現象になるほどの大ヒット商品となりました。シリーズ累計126種、累計販売数4.5億個を突破し、現在もその記録を伸ばし続ける人気ぶりです。

 いつの時代もアイデアを持って挑戦をつづけてきたフルタ製菓さん。今では日本各地や、世界の国々へも想いを馳せ、歩みを進めています。

 1976年発売の「セコイヤチョコレート」には、「セコイヤの木のように大きく成長するように」という願いが込められていました。その願い通り看板商品となった「セコイヤチョコレート」。発売から40周年を迎えた平成28年には、メタセコイヤ並木が有名な滋賀県高島市と包括連携協定を結び、売り上げの一部を同市への寄付にあてる活動をはじめました。このような取り組みは地方都市への貢献活動として他の地域でも展開されています。

  

 また近年はインバウンドや海外での需要に応えるべく、日本らしさを感じられるラインナップの充実、海外への市場拡大などを図り、世界中に笑顔を届けるための活動に力をいれておられます。

 もちろん2025年に開催される関西万博にも前のめり。今回の万博に向けて生野区の産業を盛り上げるこの “IKUNO TOGO” の取り組みにも、3名のキーパーソンを筆頭にご参加いただいています!今回私たちに会社の歴史をお話ししてくれた営業本部の乾さんと南開さん、企画開発部の塩谷さんです。みなさんにも、生野のまちについてそれぞれの想いを伺いました。

 営業本部の乾さんは生野の本社に勤めること51年。いつもまちとの繋がりを大切に想ってきたといいます。自分自身が慣れ親しんできたまちであるだけでなく、生野区内からたくさんの人が働きにくる会社であるため、生野の人たちあっての仕事なのです。

 南開さんは実は3ヶ月前に生野本社に着任したばかり。まだまだ生野のまちを知っていっているところですが、大雑把な印象がありながらも人情深くもあるまちの雰囲気を日々感じ取っているそうです。

 企画開発部の塩谷さんは、各拠点で毎年地域の人々に向けて開催する「クリスマスセール」での印象をお話ししてくださいました。「ここの人たちは、情があついという印象があります」。フレンドリーな方が多い生野ではイベント中に自ら声をかけてくれるお客様も多く、色んな声を聞けるので商品開発のための勉強になっているといいます。お客様の声を聞き更なるヒット商品の誕生に生かすだけでなく、地元との交流を深めるためにも、たくさんの方が楽しみに待っていてくれている「クリスマスセール」はフルタ製菓さんの大切な取り組みです。

 そして、古田三兄弟がこの地に宿した「アイデアの精神」を継承しなければならないとおっしゃる塩谷さん。未来ではどんなお菓子が誕生しているのか、これからのフルタ製菓さんからも目が離せません!

会長の古田鶴彦さんにもお会いできました。
フルタ製菓株式会社
フルタ製菓は生野区に本社をおく創業71年の製菓メーカーです。 チョコレート、クッキーを中心に幅広いお菓子を製造販売しております。
ホームページ→http://www.furuta.co.jp/

 今回で第4弾となったこの連載。これまでご紹介してきた3社もお菓子のメーカーさんだったことにお気づきでしょうか。実はこの4社は、万博に向けた取り組みとして、子供たちの発想力で「夢のお菓子(お土産)」のアイデアを出し合うイベント “スーベニアソン”(2024年開催予定)の参加企業さんです!

 今回お話を伺ったフルタ製菓さんも、「アイデアのフルタだからこそ、こどもたちの素敵なアイデアに出会いたい。そしてそれを形にしてあげられたら!」と意気込んでいます。

 “スーベニアソン”(2024年開催予定)の開催情報は来年2月に当サイトで発表予定。ぜひチェックしてみてください。

い く の

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Writer

cyan

Photographer

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