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”まち”で生まれた”もの”を知る〜生野区を盛り上げるものづくり企業を紹介〜vol.2 佐々木製菓の佐々木雅子さん

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”まち”で生まれた”もの”を知る
vol.2 佐々木製菓の佐々木雅子さん

 多様な顔を持つまち、生野区。実は約2000社のものづくり企業が集結する“ものづくりのまち”でもあります。

 ひとことで「ものづくり」と言っても、誰もがよく知る製品から、ユーザーが普段目にすることはない小さなパーツまで、そのあり様は様々。この企画では、あらゆるMADE IN IKUNOに目を向け、生野に根付いた「生み出す力」に迫ります。

 そして長きに渡りこの”まち”で、ものづくりをしてきた人たちは、”まち”をどう捉え、どんな未来を思い描いているのか。生野のものづくり精神を探るインタビューシリーズ。第2回は、老舗のお菓子メーカー佐々木製菓さんを訪ね、取締役の佐々木雅子さんにお話を聞きました。

 昔ながらの誰もが知るお菓子、金平糖。実はここ大阪は、明治時代に開発された金平糖を量産する機械の発祥地であり、古くから金平糖の製造が盛んに行われてきました。今回お邪魔した佐々木製菓さんもそのひとつ。1929年創業のお菓子メーカーです。創業者である佐々木さんの祖父によって、金平糖づくりを始めました。長年他社から委託された金平糖やチョコレートをつくってきた佐々木製菓さんですが、最近では10年ほど前に立ち上げた自社ブレンドで名前を知られるようにもなりました。

 自社ブランドで展開する金平糖やチョコレートは、可愛らしいパッケージに身を包み、雑貨屋さんに並べられるようなちょっと特別感のあるひと品。それらは長年の受託製造で信頼を得てきた味の良さと、対応力を生かした佐々木製菓さんの新境地です。

 老舗の町工場がおしゃれな自社ブランドを立ち上げる。そんな挑戦の背景には、「新しい風」の存在がありました。それが今回お話を伺った佐々木雅子さん。現社長の娘である佐々木さんは、4代目として約10年前から会社を支えています。子供の頃は学校から戻ると工場へ向かい、箱詰めを手伝ったりお菓子を食べさせてもらったりするのを楽しみにしていたそうですが、大人になってからはWEB制作の仕事に就き多忙な日々を送っていました。そんな中大きな病気を経験したことで人生観が変わり、「おじいちゃんがつくった会社や、減っている金平糖メーカーを守りたい」と家業へ入ることを決意したといいます。

 入社後佐々木さんがまず取り組んだのが、自社サイトを立ち上げること。前職の経験を生かして、自分で一からサイトを作り上げました。同時に佐々木製菓の名前を知ってもらえるようにと自社ブランドの開発にも挑戦。アーモンドをチョコレートでコーティングした「チョコ掛け屋」シリーズが誕生しました。かつてお客さんに頼まれたことをきっかけに、金平糖に砂糖をかける工程を応用して始めたチョコレート菓子の製造。チョコをよく知る職人がテンパリングする佐々木製菓さんのチョコレートは、美味しいと定評がありました。その技術と佐々木さんのアイデアを掛け合わせ、念願の自社ブランドが生まれたのです。

 美味しさだけでなく、愛らしいパッケージにもこだわったこの商品には、「その人を想って贈るちょっとしたお菓子が、コミュニケーションツールになって欲しい」という佐々木さんの願いが込められています。取材中、そんな願いを持ってお菓子の製造に取り組むようになった原体験について教えてくださいました。「前職時代あまりにも忙しく酷い顔をして働いていた時に、そっと“うなぎパイ”をくれた人がいたんです。それを食べた時に涙が出るほど救われました」そんな経験から人をちょっと幸せな気持ちにするようなお菓子をつくろうと決意した佐々木さん。自社商品を販売するWEBショップにはギフトセットも充実させています。

 佐々木さんが立ち上げたWEBページや自社ブランドの影響で、「お菓子を製造してほしい」という会社からの依頼も増えていきました。これには職人一筋で「自分にはわからないから任せる」とじっと佐々木さんを見守っていた社長も「すごいな」とその成果に頷くようになったそうです。

 それからも親子で力を合わせ、様々な挑戦を続けました。中でも苦労したというのが、創業90周年を期にスタートさせた新しい金平糖のブランド「金平堂」の商品開発です。「金平堂」は、「砂糖のかたまり」という金平糖のイメージを払拭し、大人にも楽しんでもらえるようにと自然素材にこだわってつくった金平糖です。実は金平糖の最大の特徴であるツノを出すには砂糖選びが重要で、採用した「てん菜含蜜糖」に辿り着くまでに何度も試作を繰り返し、試行錯誤を重ねたといいます。

 そんな風に諦めずに開発に取り組む姿勢は、佐々木製菓さんが長年大切にしてきた「少量多品種」というものづくりのスタイルの現れです。「お客さんから言われたことには、積み重ねた経験と知識で応える」それが手づくりだからこそ実現できる佐々木製菓のこだわりだと、社長を側でみてきた佐々木さんは語ります。高い技術と知識を持つ職人のいる工場に、佐々木さんのアイデアという新しい風が吹いたことで、佐々木製菓さんの扉は大きく開かれたのです。

 今では生野のまちのものづくり企業とも交流を持ち、力を合わせて何かできないかと探っているのだとか。「生野でものづくりをしている人は、みんな自分の業種が多いまちだと思っている。それぞれが生野は“靴のまちだ”とか“お菓子のまちだ”と言っていて、このまちでは何でもつくれるんじゃないか!と面白くなりました」と笑う佐々木さんを前に、“ものづくりのまち”生野への期待が高まります。

株式会社佐々木製菓
金平糖、チョコレート、アーモンドチョコを製造販売している昭和4年に創業の大阪 佐々木製菓。
佐々木製菓さんHP・WEBストア→https://www.sasakiseika.co.jp/
い く の

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Writer

Cyan

Photographer

Geoff

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